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病(やまい)と詩(うた)【41】ーおれおれ詐欺とトランプ大統領ー(ケセラセラvol.87)

東京大学名誉教授 大井 玄

 

仕事柄、わたしの付き合う人には認知能力のおとろえた人が多い。もちろん、わたしも確かに認知能力がおとろえている。彼らとの違いは、わたしには未だに好奇心が旺盛で、しかもすぐに感心したり、驚いたりするところが残っている点だろう。それを除けば、わたしは文句のない彼らの一員である。
そのせいだろう。おれおれ詐欺の話をきくと義憤に駆られ、また言いようない悲しさを感じる。
おれおれ詐欺の古典的手口を心理的に解析するならば、詐欺師はまず、息子を装い、他者の金を使い込んだというような話をでっちあげ、老母の不安を掻き立てる。窮地にいる「息子」を救うため、老母はため込んだへそくりを指定の口座に振り込み、ほっと安堵の息をつく。

ここで重要なのは、「強い不安」を掻き立てること、と同時に、金を払えば全てうまく行くのだという「希望」を持たせることである。と同時に明らかなことは、老母は疑ったり、疑問を感ずることを中止していることだ。つまり「判断停止」をしており、つよく認知能力の衰えが窺われる。怪しい点は少し考えれば出てくるのだがそれをしない。そこがますますこちらの悲憤を強くするのだ。
認知能力の衰えかかった老母だけの話であるなら、テレビで「おれおれ詐欺に気を付けよう」といったキャンペーンをしたり、地域の警察から電話をして注意を促すという手もあろう。
しかし社会の多くの人が不安を抱いているときはどうだろう。テレビやパソコンや新聞などの通信手段を活用し、不安を掻き立て、それを怒りに変え、特定の目標に向けさせることもできよう。
拙著『痴呆老人は何を見ているか』で記したように、われわれはそれぞれ程度の異なる痴呆である。既に社会に存在する「不安」が掻き立てられ、それが「怒りに」転化させられたとき、怒りを不安の原因と見なされるもの、たとえば、社会のマイノリティーやこれまでの政治体制に向くのは、自然な心理的ダイナミズムであろう。

 

今回大統領に選ばれたドナルド・トランプ氏の選挙戦術はまさに、おれおれ詐欺を、アメリカという不安な社会で行ったものだった。
彼は「アメリカをもう一度偉大に」という掛け声とともに、主として低学歴白人男性層の不安をあおり、そこに生じる怨嗟と怒りを外国、移民と民主党政権に向けさせることに成功した。もちろん、共和党員であるFBIの長官が、選挙の迫った時点で、クリントン候補の公用メールを私用に用いた問題を再燃させたことは、同候補への支持機運を削ぐ決定的な打撃になった。
トランプ氏は、自由貿易で雇用が中国に持っていかれたため、アメリカの鉄鋼を中心とする製造業が落ち目になった。中国は不当に安い製品をアメリカに輸出していると言う。したがって中国からの輸入製品には四十五パーセントの関税をかける。
メキシコ人を主体とするヒスパニック系不法入国者が白人の職を奪うばかりか、強姦者であると言う。したがってメキシコとの国境に、絶対侵入できない壁を建設し、その費用はメキシコ政府に払わせる。一千万人におよぶ不法移民を検挙し、国外に追放する。
アルカイダが世界貿易ビルを破壊した九・一一事件の際、ニュージャージー在住のムスリムは拍手喝采した。シリア、イラクなどからの難民はテロリストを育む温床である。ムスリムの入国は差し止める。

国防については、アメリカは同盟国に対してあまりに寛大すぎ、気前良すぎた。アメリカは過大な軍事負担を強いられている。したがって北大西洋条約諸国の国防費を増額させる。日本や韓国にはその防衛負担金を増やさせる。
地球温暖化は、中国の言いだしたペテンである。したがって二○一五年暮れに地球のほとんどの国が参加した温暖化防止を目的とするパリ協定から離脱する。そうすれば石炭石油を用いる火力発電を維持でき、石炭石油産業は救われる。
トランプ氏は明白な嘘をもついて不安と怒りを掻き立てた。たとえば怪しい不法入国者や外国人が増え、今やアメリカの殺人率は過去四十五年で最高である。新聞はそういうことにけっして触れない、と彼は断言した。
新聞が触れないのも当然である。現在の殺人率は、ピーク時の一九八○年の半分にも達せず、一九六五年から二○○九年のどの年よりも低いのである。
さらに彼は言った、「もしヒラリー・クリントンが大統領に選ばれたら、一週間のうちにアメリカの人口は三倍になる」。つまり、六億五千万人が入国するには、南米、中米、メキシコとカナダの人口が全部やってこなければならない。

彼は州ごとの選挙人獲得では勝ったが、全国の総投票者数ではクリントンよりも二百万票ほど少なかった。しかし彼は「選挙人団で圧勝したばかりか、非合法的に投票した何百万票を差し引いたら総投票でも勝っていたのだ」とツイートし、その何の証拠も挙げていない。
トランプ氏の発言の七十パーセント以上は、Factcheck.org(事実確認機関)から嘘か嘘に近いと判定され、クリントン氏のウソ率の三倍に達した。しかし、いくつかの世論調査では、トランプ氏はクリントン氏よりも「正直で、信頼に足る」とされている。
しかもトランプ氏のツイッターを見る人は一五○○万人であり、クリントン氏の一一○○万人よりもはっきり多く、テレビ・ラジオにより報道される量
も彼女よりはるかに大きい。
アメリカ人の四人に一人は、太陽が地球の周りをまわると思っている。四割以上が、世界は過去一万年以内に、神によって、ほぼ今の姿に近い形で一週間のうちに創造されたと信じている。
その程度の世界認知の国のデモクラシーが選んだデマゴーグを、いち早くご機嫌伺いに飛んだ我が国の総理は、「信頼できると確信した」と、国民に伝えた。

神よ、日本を救い給え

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