自分を振り返る2ー岐阜大学での6年間ー(ケセラセラvol.89)
医療法人和楽会 なごやメンタルクリニック 院長 原井宏明
人生で一番輝かしい時期は?
皆さんの人生を振り返り、一番良かった時期とはいつでしょうか?
青春を謳歌したといえるときは?
当時に戻りたいと思える時期は?
かなりの人が10代後半、大学生のころを考えるのではないでしょうか?私もそうです。医学部の6年間に人生の“お初”がたくさんあります。一人暮らしを始めました。水泳部に入りました。1年の冬に初スキー、3年でファースト・キス、デート、失恋…医学生ですから、死体解剖なども経験します。この中にはスキーのように私が今でも続けているものもあれば、またやりたいと思っているのにまだやらずにいること、1回だけでもう十分というものもあります。ホルマリンの匂いの中での解剖実習はその代表選手です。国家試験もそうですね。
またやりたいと思っているのにまだやらずにいることは何かと聞かれたら、私はバイクと答えるでしょう。初夏の季節、ライダーを道路で見かけるたびにうらやましくなります。
スズキGSX250Eカタナ
いろいろ新しいことを経験したという点では4年生の前後がピークでした。5年生の春には中型二輪の免許をとりました。新車を買いました。当時、先輩と同級生の間でバイクがブームでした。私の勇姿をご覧ください。
ちなみに、タンクにシールが貼ってあるのは砂利道でブレーキをかけて前輪をロックさせてしまい、転倒したときにできた凹みを隠すためです。私は贔屓目に見ても上手いライダーではありませんでした。良く転倒しました。不思議なことに怪我をすることはありませんでしたが、ミラーやハンドルを曲げてしまうことはしょっちゅうでした。フロントフォークを曲げてしまったときは出費が痛かったです。
GSX250を仲間とのツーリングにはもちろん、通学やバイト、京都の実家までの往復にも使っていたのでした。大雪で名神高速道路が閉鎖になったときは国道8号線を通っていきました。彦根付近で雪が積もった坂を登れなくなり手で押していったことも。今思うと、雪が降る中を岐阜から京都までバイクで帰ろうというのには無謀にもほどがあります。でも、当時はそれが楽しかったのでした。車も人もいない、どこが道路かもよくわからなくなった国道8号で、やっぱり滑って転倒した時、どこも擦りむかず痛くもなく-下はアスファルトではなく雪ですから-どこまでも滑っていくかと思えたバイクがようやく止まって立て直した時、あたり一面がまばゆいばかりの白い雪原だった光景を今も思い出します。
シュトゥルム・ウント・ドラング
水泳部には「みなも」という部誌があり、部員は毎年1回、原稿を書く決まりになっていました。卒業前、私は自分の大学生活を振り返った原稿を書いていました。4年生の前後2年間を私はシュトゥルム・ウント・ドラング「疾風怒濤」と表現しています。
シュトゥルム・ウント・ドラングとは18世紀後半にドイツで起こった文学革新運動です。それまでのドイツ文学が理性を重んじた啓蒙主義であったのに対して、感情の自由と人間性の解放を強調したものです。ゲーテやシラーなどが、理屈や善悪には縛られない人間の感情の自由を描きました。ドイツ語を直訳すれば「嵐と衝動」という意味になります。
大学卒業前の私は「疾風怒濤」の前後で自分の考え方が大きく変わったことに気づいたのでした。それまでの自分はものごとを論理や理屈、善悪で考えることが多かったのでした。その結果したいこともしたいようにできず、そしてそんな状況に不満も感じていたのでした。良い意味でも悪い意味でも危険を顧みず、雪が降ろうが転倒しようがそのときの感情のままに好きな行動をする、そして行動してみると自分の考え方自体が最初と様変わりしてしまいます。それは考えてもダメで自ら行動しなければ気づけないことです。57歳になった今の私が、こんなことを言うのは変な気分ですが、“23歳の私は良いことを言っています。あんたは偉い。”
最後に
一つ、知りたいことがあります。私の作文にある“ある欠落の痛みを感じつづけながら…”は大江健三郎の著書からの引用です。でも、どの本なのかわかりません。ネット検索ではみつけられませんでした。どなたかご存知の方があればぜひ、教えてください。
最後に、大学生のときの“お初”のもう一つ。貝谷先生に初めてお会いしたのは精神科の臨床実習の時でした。バイクに乗り出した頃から私は貝谷先生にお世話になっています。