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病(やまい)と詩(うた)【45】ー東日本大震災復興への歩みー(ケセラセラvol.91)

東京大学 名誉教授 大井玄

 

かつて国立環境研究所に勤めていたという縁で、福島の被災地の復興状況を見るスタディ・ツアーにお招きを受けた。

2011年3月11日、東日本でマグニチュード9・0という観測史上最大の地震が起き、大津波が襲ったのはまだ記憶に生々しい。2万人を超える人たちが命を失い、福島原子力第一発電所は冷却機能を失い、炉心はメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が漏出し、周辺地域の約10万人の住民が避難を余儀なくされた。
岩手、宮城、福島などの海岸から内陸の平地を津波が飛沫をあげ呑み込んでいく光景は、連日テレビで放映され、全世界に伝えられた。

しかし人々がもっとも恐れたのは放射能による健康被害であった。わたしの知人は、中東の国の大使として派遣され、事件の数年前に退官し、東京に住んでいた。たまたま奥さんがスイス人だったが、震災後スイスの実家から毎晩電話で危険な日本にとどまるなという執拗な要請があり、彼女は夫を置いて帰国してしまった。
また友人のドイツ人とブータン人のカップルは事件直後シンガポールに避難し、その1年後にはアメリカに移住した。
国内での風評被害ももちろん大きかった。福島県産というだけで農産物、果実、魚類が購買されなくなった。
では放射能汚染の健康影響はどうであったか。

わたしの知る限り原子物理学者である早野龍五東京大学理学部教授が淡々と事実を分析し、発信し続けた情報が、もっとも客観的な信頼できるものであった(それは、作家の糸井重里との対談として新潮文庫『知ろうとすることに纏められている)。
早野は2011年3月14日には以下のようにツイートしていた。

1973年に中国が大気圏核実験を行い、東京に雨とともに放射性物質が降った。学生だった私はガイガーカウンターで人々の頭髪や衣服などを測定。その数値は、福島の病院で被爆された方々と同程度以上、都民の多くが被ばくしたはずだが、それによる健康被害は現在にいたるまで報告されていない。

彼はまた、南相馬で1万人近くの人たちを、3か月後、半年後、と追跡して測定したが、内部被ばくの量が増えている人はいなかった。つまり、事故の後、ひどく汚染されたものを食べている人はいなかった。
放射能物質が降った福島では、放射能に汚染された食物を食べることが最大の内部被ばくのルートになるはずである。彼は給食の「陰膳調査」を1年続けておこなって、汚染された食物が流通していないことを証明した。
当初、給食からセシウムが検出されることを怖れて調査協力を渋っていた文科省は、調査結果が白と出たので、2012年からは予算化して正式に事業化した。官僚のことなかれ主義、いじけた性格を読み取れよう。

福島原発事故による福島の人々の被ばくは、チェルノブイリの事故や、1960年代の核実験による放射性降下物からの汚染、さらに自然被ばく量が多い地域の放射線量などのデータに比べて、幸いなことに、かなり低いのだった。
インドのケララ州やイランのラムサールは、自然放射線量の高いことで知られているが、福島の居住地域のレベルはそれらと比較しても低く、アメリカのコロラド州に住んだ場合よりも低いのである。
以上のような予備知識を持って私はスタディ・ツアーに参加した。

 

ツアーを主催したのは環境省と福島県であったが、コンダクターは日本医療研究開発機構の越智小枝さんだった。彼女は医学博士・公衆衛生修士という肩書を持ち、福島の放射線被ばくの経過、現況について、環境医学の視点から参加者にわかりやすい説明をしてくれた。
環境省は地味で損な役割を強いられる官僚機構である。原子力発電所を建設するときには経産省が金で頬をひっぱたくように派手にことを進めるのに、いったん放射能汚染が起こると環境省は土地や森林の除染という人の嫌がる仕事を受け持つ。放射性廃棄物の廃棄・処理にも責任を負わされる。そしていまや、被ばくについては健康に関する心配はないのだという事実を、人々に了解してもらう事業を担うのである。

ツアーのバスが向かった最初は、リンゴがたわわに実る高橋賢一さんの果樹園だった。
福島は果物の国である。その特徴は、特定の果実種に偏ることなくリンゴ、ナシ、桜桃、桃など多彩な品種が栽培され、しかも個人農家がじかに顧客に対応する直接販売と観光をセットにしていることである。
風評被害は甚大だった。全く売れない。単価を七分の一に下げても売れず、観光客数は78%減った。
結局、放射能汚染の恐れが事実上ないことを、福島大学の研究者たちの助けを借りながら、数値を顧客たちに示すしかなかった。機器は自分たちで購入し、自分たちで空間線量、土壌線量を測り、1000ヘクタールの土壌すべてを洗浄した。部分的に汚染された地区の放射線量も激減し、販売量は3年で元のレベルにまで回復した。
高橋さんは、外国人を含めて果樹園観光を啓蒙につなげたいという。それは「食育」、つまりわたしたちが食べるものが、どのようにつくられ、安全と品質維持のために、どのような配慮がなされているのかを理解することである。

たとえばリンゴひとつとってみても、わたしたちは丸くて均一に色づいたものを好む傾向がある。そのため栽培家は、収穫前に葉を除き、地面に銀紙を敷いて日光を果実に反射させて色づかせるのだ。
ツアーは被災地の代表的な各所をまわったが、それぞれ被害の受け方が異なり、とうていそれらを紹介する紙面はない。だが、災害がもたらした破壊に生き延びようとする方針それぞれが、破壊の特性に応じて考えられているのには感銘を受けた。
ほんの一例だが、津波の被害も大きかった南相馬市浪江町の川村博さんは、高齢者介護施設と花や野菜のハウス栽培を両立させていた。花は日本一の花作りを目指し、徹底したコンピューター制御で、温度、水分などを管理し、生花市場において高価で売れるキンギョソウなどを生産していた。しかも朝8時から働き、土、日は休むという若者が働きやすい条件を満たしているのだ。

東日本大震災の被災地がすべて破壊されてしまったというイメージが、どんなに間違った浅薄なものであるかをぬぐい去るためにも、わたしたちには、現地を訪れ、その土地を歩き、空気を吸い、そこの恵みを食べかつ飲むことが要請されている。

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