不安のない生活(33)呼吸について(6)(ケセラセラvol.89)
医療法人和楽会 理事長 貝谷久宣
前回、坐禅では調身・調息・調心が大切であることを述べました。これは、沈静な心には、呼吸が整わなくてはならない、呼吸を整えるには姿勢を正しくしなければならないということです。坐禅の姿勢として、坐蒲に座った時に坐骨が垂直で、骨盤が水平となり(図1)、その上に背骨が真っ直ぐに列なり、頭頂部で天井を突き上げるが如く気持ちで坐るのが良いとされています(図2)。ところが、尺八奏者中村明一氏の「密息」では、骨盤を後ろに倒すのが良いとしています。坐禅の呼吸と尺八を吹く息使いとは別物であると思われるかもしれませんが、実はどうも深い関係がありそうなのです。
中村氏は化学者として民間の研究所に勤務されていましたが、中途で尺八演奏の仕事に転職され、ニューヨークのバークリー音楽大学に学ばれました。帰国後訪問した博多の虚無僧寺の老師に中村氏が尺八演奏にとって究極の呼吸法と考える「密息」を教わりました。
尺八は、禅宗の一派、普化宗(ふけしゅう)の虚無僧という漂泊する僧たちに特権的に使用されていました。普化宗は臨済宗、すなわち、禅の流れをくむ仏教の宗派で、禅が呼吸を重視することから、尺八を吹くことは呼吸の修行となっていたようです。
この呼吸法の素晴らしいところは、息が一瞬に大量に吸えることです。これは吹奏楽器を使う人には最も都合の良いことです。しかし、坐禅で大切な静かで深い息遣いにも相通じることにもなります。中村氏がこの呼吸法で変わったと感じたのは、自分の身体だけでなく、周りの世界が変わったということだったそうです。周りが静謐な世界に一変し、微動だにしない自分の身体が、その世界の一部と感じられたということです。身体が動かないので、呼吸することが非常に受動的な感覚になり、あたかも風が自分の中を吹き抜けていくようだと中村氏は書いています。このあたりの心境を中村氏はウィリアム・ブレークの言葉「近くの扉が浄められたとき、すべては、無限に、それがあるがままに、人々の前に現れてくる」で例え、世界の輪郭がくっきりと見えてくる、といっています。これはまさに坐禅での三昧に通じるようですね。
さて、「密息」はどのようにするのでしょうか?腹式呼吸では息を吸った時に下腹が膨らみ、吐いた時にはへこみます。密息では息を吸った時も吐いた時も下腹部は膨らんだままになります。最初に述べましたようにそれが十分になされるためには骨盤が後ろに倒れている必要があります(図3)。
背中と肩を丸くして前屈します。首が前に出ます。そこから背中を伸ばします。上腕と肩を後ろに引き、胸をやや開けます。首の根元を前に突き出し気味にします。下腹部を張り出したままで、息を吸いそして息を吐きます。これを続けます。四肢の筋肉を脱力させ体の中心部以外はリラックスさせます。下腹全体には力が入ったままです。息の吸い方を中村氏は「鼻の奥を広げて目頭から息を吸う」と述べています。確かにこれに従うと深い息遣いになっていきます。私には新鮮な形容の吸気法でした。私は立ったままでこの姿勢をとってみました。そして気付いたのです。私は昔剣道をしている時にこころもちこのような姿勢をとっていたのです。これが気配を殺すことにつながるのかなとも思いました。そして、軽く密息姿勢をとる方が体の動きが自由になっていることに気が付きました。また、先日小川龍之介氏がワークショップに来られた時にはやはりかなり前屈姿勢で坐禅をしていましたから、氏はひょっとすると密息をご存じなのかもしれません。
密息の本来の目的は呼気を長くすることであり、坐禅は必ずしも息を長くするのが第一の目的ではありません。むしろ静かな深い呼吸が坐禅では求められます。それ故、私の経験から言えば、坐禅に密息が必ずしも良いとは言えません。
参考書
中村明一 「密息」で身体が変わる 新潮社 2006年 東京
藤田一照 現代坐禅講義 佼成出版社 2012年 東京