病(やまい)と詩(うた)【48】ー老耄という適応ー(ケセラセラvol.94)
東京大学 名誉教授 大井玄
「人生百年」という言葉が聞かれるようになった。私の記憶では、つい最近まで「人生五十年」といわれたものである。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」織田信長が本能寺で亡くなったときは47歳であった。日本人の寿命は古代から中世、近世にいたるまで30~40代だとされている。
その平均寿命が初めて50年を超えたのは、1947年で52歳だった。それが、あれよあれよという間に延び てきて、現在では男が83歳、女は87歳という。
戦争による死亡や餓死がなくなった。乳児死亡は減少し、コレラ、赤痢、チフスなどの急性感染症は制御された。亡国病といわれた結核にも対応できるようになった。
悪性新生物でも、小児白血病は大半が寛解あるいは治っている。私が医学生であったころ、肝臓がんで1年生きる 人は少なかったのに、現在は10年生きる人がざらである。
平和が続き、医療技術が発達し、予防医学的システムが 社会に行き渡るようになった結果が、先進国に現れた超高齢社会である。
食物連鎖の頂点に立つ動物は、ライオンでも虎でも、自力で食物をとらえることができなくなった時が寿命の尽き るときである。
森を離れサヴァンナで生活するようになったホモ属(人類)は、社会的生物で集団での相互補助がおこなわれてきた。
10万年前、少なくとも6種類のホモ属が生存していたといわれる。ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・エレク トスなどであった。しかし現在生存しているのは、ホモ・サピエンス(現生人類)だけである。
一万数千年前に始まった完新世という間氷期は、気候が比較的安定で農耕を可能にし、水陸の資源が豊富で人口が増え、ホモ・サピエンスは社会を形成することが可能になった。
コトバを介して学問が発達し、知識が増え、戦争という相互殺戮を100年にも満たない期間避け、社会システムが整備され、「超高齢社会」が実現した現在何が起こっているのか。
私たちは自然がホモ・サピエンスに用意してくれた知的器官、運動器官の耐用期限の限界を観つつあるように思わ れる。
換言すれば、自然によって与えられた生・老・病・死という過程の全行程を俯瞰できるようになった。
高齢と運動能力低下(ロコモ ティブ症候群)
生老病死の過程には、生存能力の増大と消退が反映されている。
ホモ・サピエンスの生存を可能にしてきた運動能力でも必須のものは、手を使うと同時に、直立歩行する能力であ る。言うまでもなく森林生活からサヴァンナでの生存を余儀なくさせられたことへの適応であった。立ち上がり、歩けなくなったとき、介護が必要になり、終末にいたる期間は限られてくる。
吉村典子によれば、日本整形外科学会は、2007年、「運動器の障害のために移動機能の低下をきたし、進行すると介護が必要になるリスクが高くなる状態をロコモティブシンドローム(ロコモ)と定 義した」(1)。
さらに、立ち上がりテストなど三種の移動機能評価法からなる「ロコモ度テスト」を開発し、1575人を対象としたコホート調査をおこない、2013年に結果を発表した。それによれば、「移動機能 の低下が始まっている状態」 を示す「ロコモ度1」の有病率 は、40~50歳代から指数 関数的に増え、70歳代で半 数を超え、80歳以上では八 割に達する。
この移動機能低下が加齢とともに指数関数的に増える現象は、次に述べる認知能力低下と対応している。
生・老・病・死の過程と認知能力
認知能力とは、大雑把に言うならば、自分が置かれた状況を理解し、そこで生存に適した行動をとる能力、と考え て大きな間違いではないだろう。言いかえると生存に必要な知的能力である。
そのためには、自分のいる場所や時間や、なぜそこにいるのかの見当がついており、何をするのが適切かを意識す る必要がある。そのような見当識や判断には、環境を正しく認知し、直前に起こった事実について正確な記憶が働い ていなければならない。
さて、生物にとり自然で必然の過程は生・老・病・死の過程である。
したがって幼年、青年、壮年、老年においてそれぞれの年齢区分に応じた認知能力があるのが自然であり、その年 齢区分の大多数が示す能力特性が「正常」と考えられる。
身体能力や認知能力が幼年、青年、壮年、老年のそれぞれにおいて違いがあるのは、その年代における生存様態に即しているからであろう。つまり競争的生存において大切な認知能力の必要性は、加齢とともに自然に低下する。それはどの超高齢社会でも観察されている。
日本では、朝田隆らの全国調査報告に基づき国立国会図書館の佐藤通生が作成した「認知症対策の現状と課題」に、グラフ化された男女別の年齢別認知症有病率が示されている(2)。それによると、男女とも60歳代、70歳代前半では有病率は数%どまりだが70歳代後半ではそろって1割を超える。その後の増加は指数関数的である。
女性では80歳前半で2割を超え、後半では4割を、90歳代前半で6割、後半で8割を超える。つまりこの年齢層では圧倒的大多数が認知症である。男性の有病率はそれより低いがやはり過半数を超える。
ここにおいて、私たちは超高齢者の「認知症」について認識の修正を迫られよう。
まず、超高齢者の「認知症」は、病気という異常ではなく、圧倒的多数が示す正常な認知能力特性である。
それは「認知症」とラベルして疾病視すべきではなく、「老耄」という状態として受け入れるべきなのである。
なぜなら、認知症高齢者に対応して判るのが、彼らの終末において死の恐怖が消失し、がんの痛みが激減する事実がひろく認められることである。涅槃に入るにふさわしい有様といえよう。
「老耄」は死の前の適応と見做すのが相応しいのではないか。
文献
(1) 吉村典子(2015)ロコモティブシンドロームの臨床診断と有病率 日老医誌 52:350-353
(2) 佐藤通生(2015)国立国会図書館:認知症対策の現状と課題。調査と情報 ―ISSUE BRIEF― NUMBER 846