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病(やまい)と 詩(うた)【49】ー歴史の動きを観る感覚ー(ケセラセラvol.95)

東京大学 名誉教授 大井玄

 

学生時代から政治についての関心が薄かったのに、人生の最終期になってアメリカの政治動向に注意が向くようになった。
ドナルド・トランプ大統領は、自分の嘘を絶対に嘘と認めない点で認知症高齢者の被害妄想に共通する性質を示す。これが認知症高齢者と親しく付き合うわたしを惹きつけた一因だろう。

大統領として彼はいくつかの注目すべき政策決定をしてきた。

第一に、「地球温暖化は中国の策謀である」と言って気候変動に関するパリ協定から撤退し、温暖化ガスを垂れ流す石炭石油産業へサービスを行った。今夏、歴史的な酷暑と干ばつに悩まされたスウェーデンでは、彼に対する評価は最低であるのを観た。
異状気象は全地球的に起こっている。科学者たちはそれが地球温暖化の影響であることに確信を強めている。海水温が高まり大気中に水分が蒸発する量が増えた結果、巨大な台風、豪雨、洪水、土砂崩れなどの惨事が各地で起こっている。同時に地域により乾燥化も進行するのが特徴だ。
イタリアのべニスでは、サンマルコ寺院前の広場が水浸しになるばかりではなく、数多くのレストランの床上浸水が起こった。日本では西日本を中心に広い地域を襲った「平成30年7月豪雨」による死者は200人を超えた。カルフォルニアでは干ばつで史上最悪の森林火災が起こり、火炎はパラダイス地区の2万棟近い家屋を呑み込んだ。
今回アメリカで発表された気候変動の将来予測によると、ここ数十年の間にアメリカの経済は10%縮小するという。トランプ氏はそれにもめげない、その予測を信用しないと言っている。

第二に、イランの核兵器開発を禁じ、引き換えに同国に対する経済制裁を止めるというEU、ロシア、中国を含む多国間条約から脱退した。
同条約は何年もかけた交渉の末オバマ前大統領時代に結ばれた。国際原子力監視機構によればイランは約束を忠実に守っているという。それにも拘わらず、トランプは厳しい経済制裁を再開した。それに従わぬ国の企業も制裁の対象となる。
アメリカは多国間条約を結んでも約束を守らない国であるとの国際的認識は、朝鮮半島の非核化が問題にされている今、禍根を残すだろう。核廃棄を迫られている北朝鮮は妥協しないと断言してよい。しかもアメリカは、実証可能な査察を北朝鮮の核施設に行うという要求を取り下げたとも伝えられる。

第三に、企業、超富裕層がもっとも利益を得る大幅減税を行った。トランプ氏は史上最大の減税だと自賛したが、ニューヨーク・タイムズ紙によれば、史上最大とは嘘だという。
ノーベル賞経済学者ポール・クルーグマンは、企業への減税は企業規模を拡大させ働き口を増やすよりも、企業が自社の株を買い戻すのに向けられていると指摘した。経済推進効果は、宣伝されたよりはるかに小さい。

第四に、メキシコとの国境沿いに、不法侵入を絶対許さぬ壁を建造し、その費用はメキシコに払わせると大統領選挙公約をした。メキシコ大統領はもちろんそんな費用は払わないと反発した。
トランプ氏はすでに壁の建設に取り掛かったと言っている。しかしニューヨーク・タイムズ紙はそれも嘘だ、建設しはじめた証拠は全くないという。

第五に、中南米からの避難民のキャラバンを避難民として取り扱わず、メキシコとの国境に5000人以上の軍隊を派遣している。
ホンデュラスに発した避難民のキャラバンは、その地の非常な貧困と暴力、人身売買などから逃れるものだった。その後中南米の他の国々からの避難民も加えてメキシコに入り、アメリカ国境まで達しはじめている。トランプは中間選挙中、民主党がキャラバンを援助していると示唆したが、その証拠はない。民主党は国境の安全を高めるための法制化に賛成している。
11月に行われた中間選挙の選挙戦術は、低学歴白人を中心とした選挙民の不安、恐怖、不満を徹底的に煽り立て、それをもたらした諸悪の根源は民主党にあるとするものだった。大統領選挙中から中南米からの避難民は犯罪者であり、強姦者だという持論を展開してきたが、それを裏付ける統計的証拠はない。

 

ドナルド・トランプ氏とは、どのような人物なのか。彼は自分を「落ち着いた天才〝a stable genius"」だと胸を張っている。
しかし自分をアメリカ合衆国大統領に首尾よく売り込んだ以外は、その過去30年間に行った事業にことごとく失敗しているように見える(1)。
1988年に彼はマンハッタンのプラザホテルを4億ドル(当時にしては前例のない価格)で購入したが、数年後破産し会社更生法を申請した。
アトランティック・シティで彼の始めたカジノは破産し、市も損害を被った。トランプ航空も失敗し、彼はそのローンの返済義務を果たさなかった。トランプ大学は完全な詐欺であり、受講者からの損害賠償の訴えに対し2,500万ドルを払い和解した。

しかし彼は自分を売り込む芸においては、まさに比類がない。自分が自力でたたき上げた富豪であると選挙民に売り込んだが、父親から現在の額で少なくとも4億1,300万ドルを受け継いだ。しかもその相当部分は違法な脱税措置によるとニューヨーク・タイムズは報じている。実際、あるテレビ番組で彼が有能なビジネスマンの典型だと紹介された当時、ほとんどの銀行は彼への融資を断っていた。
トランプ氏は自分に都合の悪い事実を報道するメディア、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CNNなどを「人民の敵」だと呼んでいるが、これらのメディアがなければ彼の道義心がいかなるものか窺えない。

その好例がある。
サウジアラビアのジャーナリストでワシントン・ポストの寄稿者、ジャマル・カショギ氏がトルコのサウジアラビア領事館で殺害されて2ヵ月経った。
サウジアラビア政府は、当初説明を二転三転させたが、結局彼がそこで殺され、死体は切断され、捨てられたことを認めた。トルコ諜報機関によるテープレコーディングやアメリカのCIAによる調査は、独裁権を行使しているムハンマド・ビン・サルマン皇太子の指令によることを示すことで一致していた。

しかしトランプはそれを認めず、「サウジアラビアは何千億ドルの買い物をしてくれるアメリカの同盟国だ。ロシアや中国の側に追いやることはできない」と強硬だ。つまり彼にとって、外交は正義や道徳とは関係なく、すべて利得が第一の「商売上のやり取り」にすぎないのだ。
自己の利益のみを考える商売人が大統領であるアメリカは、強国ではあるが、すでに偉大な国とはほど遠い存在となった。

 

(1) Goldberg, M. 〝Counting up his failures, for posterity" New York Times 2018-11-2

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