マインドフルネスの臨床効果と脳科学⑱ マインドフルネス・ヒーローとスーパー・ヒーロー(ケセラセラvol.112)
医療法人和楽会 理事長 貝谷久宣
最終章を迎えてマインドフルネスの人生における効果をまとめてみましょう。マインドフルネスの故郷は仏教です。仏教とくに禅においてはその究極点の一つは悟り(ワンネス)の境地であり、さらに進むと神通力を持った超人的な状況も経本(パーリ語経典長部の『沙門果経』)には記されています。ここにはマインドフルネスによってそのような境地に進むことが出来るか、また、その科学的根拠はあるのかを議論した最近の論文(Jones, 2019)からの要約を記します。
以下にマインドフルネスの効果を段階別にまとめました。第4段階に達すればマインドフルネス・ヒーローであり、第5段階以上はスーパー・ヒーローと言えるでしょう。
1.健康の維持と病気に対する抵抗力の向上
うつ病や不安障害の治療においてマインドフルネスは従来の薬物療法と同等の効果が示されています。また、ストレスホルモンのコルチゾール、血圧、安静時心拍数、血糖値、コレステロールなどのコントロールも可能です。マインドフルネスにより交感神経系と視床下部下垂体副腎系の変調が正常化されると言われています。精神的ストレスが免疫反応を抑制する一方で、マインドフルネスは免疫力を高めて病気に値する抵抗力を増加させます。瞑想はアルツハイマー病などの神経変性疾患の進行を遅延させ、血液細胞の炎症性遺伝子の発現を減らします。
2.抗老化作用
長期瞑想経験のある高齢者と年齢をマッチさせた瞑想経験のない高齢者の認知機能を比較した研究では、瞑想者では認知機能低下は観察されず、高齢の瞑想者のパフォーマンスは若い対照者と区別がつきませんでした。瞑想者では前頭葉皮質の萎縮が進まないことも明らかにされています。このシリーズ④でも以前紹介しましたが、スペインの坐禅者は寿命遺伝子テロメアの縮小率が低いと報告されています。
3.ウェル・ビーイング
ウェル・ビーイングについてはこのシリーズ⑮で5つの概念:陽性感情と所属感を持ち、良き人間関係を保ち、人生における意味・意義を自覚し、達成感を得ることが大切であることを述べました。マインドフルネスを始めて気づく最初の効果は腹が立たなくなることです。このことは苦痛のない生活をするためには大変重要なことです。これは、マインドフルネスをすることで感情中枢の扁桃体の活動性が低下することによることは、このシリーズの①で示しました。
マインドフルネスを続ける人はネガティブな写真を見た時の脳の生理学的反応がマインドフルネスしていない人よりも低く、マインドフルネスをする人は自己や他者に対するネガティブな感情反応が少なく、ポジティブな感情反応が強いと考えられています。また、辛いストレスにあった時、マインドフルネスを続けている人はそのストレスに対する感情を苦も無く自働的に対処し、自律神経のコントロールもうまくいき、身体化することもないと言われています。それは、マインドフルネスを続けている人はその辛いストレスを自分に襲い掛かるものとしてではなく、客観的に対応(decentering)ができるからです。このことを裏付ける脳画像所見として、海馬と前頭前野の灰白質肥大が示されています。また、瞑想を続ける人は疼痛に対する閾値(いきち)が高まり、痛みを感じにくくなることもこのシリーズの⑥で述べました。身体的苦痛も精神的な苦痛も脳内ではほぼ同じ場所で処理されていますから、痛みを感じにくい人は精神的な苦痛も受けにくいことになります。幸福度テストの高得点の人は後頭葉の右前楔部が大きくなっていることをこのシリーズ⑨で示しました。この部は瞑想により厚くなる脳部位です。
4.向社会的な行動の発現
これは、他者のために必要なものを犠牲にする、愛にあふれた親切な行為や倫理的行動を意味しています。その実践は、他者の苦しみを軽減しようとする慈悲と、他者の幸福を増大させようとする慈愛に分けられます。赤坂クリニックのマインドフルネス瞑想は慈愛の瞑想で終わります。ある研究によれば、マインドフルネス瞑想をする人は苦痛を感じている人の声により多くの感情反応を示し、これは共感性と関係する側頭葉深部にある島皮質の活性化と関係したと言われています。また、マインドフルネスによりこの島皮質の体積が増えることも示されています。
大乗仏教の説く仏(悟りを開いた人)への道は利他的行動を行うことも大きな徳目です。では、悟りとはどのような境地でしょうか。
フィラデルフィアのトーマス・ジェファーソン大学教授であり医師であるアンドリュー・ニューバーグ博士は、自分自身の体験を踏まえ「悟り」の科学的研究(脳画像研究を含む)を続けています。
彼はさしあたり「悟り」を以下の如く定義しています:
①一体感やつながりの感覚
②信じがたいほど強烈な体験
③明瞭な感覚と根底的に新しい認識
④明け渡しの感覚、自発的コントロールの喪失
⑤自分の信条や人生感、目的意識などが突然恒久的に変化した感覚
この悟りの状態のときに経験される一体感や永久感は脳機能の変化と関係していると考えられています。前頭前野のサブシステムが不活性化すると、人は時間の感覚を失い、時を超えた感覚を持つようになり、側頭葉が不活性化すると、人は一体感や分離を感じないようになると言われています。悟りはこのような状態が瞬間的に表れた現象であると考えられています。上級瞑想者が自分自身の意図的なコントロールを停止し、「無思考」状態になったときの「無我」の状態を繰り返すことによりこのワンネス体験が得られるものと考えられます。マインドフルネスでこのような状態を得た人がマインドフルネス・ヒーローです。普通の人でも、正しい瞑想を続ければ、ヒーローの道を歩み始めることが可能であると言われています。つまり、エゴのない個人が、人類のために高次の能力を徐々に開放していくのです。
「悟り」とは別の文脈で、マズローは晩年、5段階の欲求階層を超えて、さらにもう一つ上の段階を発表しています。それが、自己超越(Self-transcendence)の段階です。その特徴は以下の通りです。
①「存在すること」(Being)の世界について、よく知っている
②「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
③統合された意識を持つ
④落ち着いていて、瞑想的な認知をする
⑤深い洞察を得た経験がある
⑥他者の不幸に罪悪感を抱く
⑦想像的である
⑧謙虚である
⑨聡明である
⑩多角的な思考ができる
⑪外見は普通である
マズローによれば、このレベルに達している人は人口の2%ほどであるといいます。彼の言う「being」は言葉を変えて言えば、マインドフルネスのことだと思います。
最後に、スーパー・ヒーローについて述べましょう。
5.自律神経反応の制御
実験室条件下で自律神経反応を制御する能力が評価されました。最初の実験では、30年の経験を持つ瞑想熟達者のチベット僧が3分後に手の左右の温度差を約摂氏6度にしました。2回目の実験では、心臓を16秒間止め、その後心拍数を元の状態に戻し、何の体調変化もありませんでした。また、深い集中状態(サマディ)で呼吸数を1分間に2~3回に減らしました。チベット仏教の瞑想者において瞑想年数と隠れた標的を正しく選択する得点との正の相関が確認されました。
6.超常的機能の発現
古い経典には神通力が記されています。それは五通と言われ、①自在に移動できる力、②透視する力、③普通の人の聞こえない音を聞く力、④他人の考えを知る力、⑤自他の過去世の相(すがた)を知る力、とされます。この中に分類されるような超感覚知覚や念力が一部の研究者で証明されていますが、まだ多数の承認を得ていません。しかし、ある研究者は、超能力体験の別な解釈を提案しています。すなわち、情報処理が過負荷になった場合、階層的に組織され相互接続された神経ネットワークに限定する必要はないとし、神経軸索レベルを超えて、神経化学的事象から量子物理的事象(量子のもつれ)へと移行するインターフェースが出現する可能性を考えています。このことは、ある種の意識状態が量子的な起源を持ち、それゆえ信号の局所性(有線接続と無線接続)に制限されず、現在の機器では容易に測定できない状況が発生することを説明しています。
上記の超能力を示すマインドフルネス・スーパー・ヒーローは現在のところ確認されていません。ですから私たちはマインドフルネス・ヒーローをめざして、人生を豊かにしたいと思います。
引用文献
Jones P. Mindfulness Training: Can It Create Superheroes? Front Psychol. 2019. PMID: 30971978, Review.